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支えられて今がある

東筑摩塩尻校長会長 赤羽 高志
 教員生活も残りわずかになった今,たくさんの方に支えられ今の自分があることをひしひしと感じている今日この頃です。特に鮮明に思い出されるのは,初任校の頃のことです。

 私の教師人生は,下伊那の学年五〜六クラスの大規模校で小学校四年生の担任からスタートしました。全校児童一四〇〇人位でした。K教頭先生は,「困ったことは忙しいこの私ではなく,学年主任のO先生にまず相談しなさい。」が口癖でしたので私の事など眼中にないのだろうなと思っておりました。
 ところが,五月放課後のこと,教室に入って来られ「元気にやっていて何よりだ。そうそう,この間の参観日のことだけど,赤羽さんは,指導書を片手に授業をしていたね。」ぼそっと言われ,すぐに教室から出ていかれました。特に小言を言われた感覚はなかったので,その場は何のことだか分かりませんでした。しかし,その後になって,日々の授業に臨む教師の姿勢についての大事なご示唆であったことに気付きました。「子どもを侮ってはいけない。」子どもを軽く見ていたという自分自身でも気がつかないことを何気なく伝えていただいたような気がしています。
 二年目のこと,初の研究授業のお相伴授業が私にまわってきました。張り切ってやったのはいいのですが,指導者の先生からは,「声の大きさはよかった。」と評価されただけでした。子どもたちの発言も少なく,しょんぼりと授業研究会を終え教室にもどると,二期目の先輩M先生が入ってきて,「赤羽先生,今日はお疲れ様。九人も発言したでしょ。いいと思わなきゃ。自分は前任校のとき発言は六人だったよ。」と励ましてくださいました。その時はじめて授業に挑戦したことに納得できました。後でお聞きすると,M先生の学級の子どもの人数は六人だったということでした。
 また,初めて受け持った子どもたち四十三名の中に,社会科が誰よりも好きというS君がいました。社会科の授業は,視聴覚ライブラリーから十八ミリフィルム資料を借りてきて,問題提起や追究資料として活用していました。S君は,その映像をいつも食い入るように見つめ,自分の疑問や考えを素直に発言したり,記述したりする反応がとてもいい子でした。また,休み時間には,一緒に運動したり,休みの日には,友だちを引き連れ,私の教員住宅によく遊びに来たりしていました。そんなS君の生き生きしている姿を見て,担任の私は良き理解者だと過信していたのです。
 六年生,卒業前のそわそわしている三学期の図工の時間のことでした。おしゃべりに夢中で,手が止まっていたS君を注意した直後,S君は逆に腹を立て「何でいつも先生は,俺ばっかりを注意するんだ。もういやだ。二度と学校に来るもんか。」S君は卒業製作版画板に膝蹴りして,真っ二つにへし折り,ロッカー内の荷物を全部持って帰宅したのです。私は放課後,家庭訪問へと向かいました。
 お家に入ると,リビングの炬燵に大きな背を丸め,しょんぼりと座っていたS君。私の指導力不足を詫びようとしたそのとき,S君の母親が先に「やっぱり あなたの先生 来てくれたね。」とS君に話しかけたのです。S君はおいおいと泣き出しました。私も自分の至らなさと悔しさ,思いもよらない母親の「あなたの先生が」の言葉に涙が止まりませんでした。若く,未熟な教師にかけてくれた母親の温かな一言。人生の先輩として大きな心で接していただいたことに感謝です。

 何かを成し遂げた時,その陰にはたくさんの方々の支えがあったことを忘れずに,そしていつの日かお返しすることができれば幸いです。
(塩尻西小学校)
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