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私の原点                東筑摩塩尻校長会長 櫻井 隆夫


 退職間近になり、新卒の頃を思い出す。それこそ、私の原点だった。

 「櫻井先生、うちの学校には本校と分校があるが、どちらに行きたい?」
 教師になることが決まり、赴任校の校長先生から最初に言われた言葉だ。
 「大きな学校にはこれからも行く機会があると思うので、分校にしてください。」
 こうして、私の教員人生が始まった。私が最初に担任したのは、小学校四年生四人だった。女子三人、男子一人だ。

一、授業
 授業を始めてみると、たった四人だったが、子どもの学習に対する理解度のばらつきが激しいのに驚かされた。
 特に算数で差が激しく、理解が難しいK子は繰り下がりが出来なかった。
 そこで、一年の時に使っていた算数セットを家から持ってこさせて、おはじきで繰り下がりの説明を行った。本人にもおはじきを操作させていたところ、三日目に分かるようになった。
 その時の「先生、分かった」と叫んだK子の嬉しそうな表情が忘れられない。その後も個別学習を続け、少しずつ分かるようになってきた。
Y子は漢字が苦手で、半分くらいしか読めなかった。そこで、クラス全員で一年生から習った漢字を全部カードに書き出した。裏にその漢字を使った熟語を書き出し、徹底的に読む練習を行い、Y子は苦手な漢字が読めるようになってきた。教科書をつっかえる事なく読めるようになったY子は表情も明るくなった。

二、学級づくり
 学級内にしっかりとした上下関係があり、一人のボスの言うことに皆が従っているのが分かった。
 そのボスが算数が苦手なK子だった。算数を個別に教えたり、一緒に遊んだりしている内に自然と私との間に信頼関係ができてきた。ある日、K子がこう言った。「今までの先生は、勉強のできるN子さんばかりひいきしていた。」それが事実かどうか分からないが、クラスを自由に操っているように見えたK子も心の中では寂しさを抱えていることが分かった。
 半年ほど経った参観日に、N子が一人で手を挙げているのを観て、父親が驚いていた。「今までK子に遠慮していてN子は、絶対にK子より先に手を挙げられなかった。いいクラスになってきた。」

三、分校の四季と行事
 〇春…種まきで始まる。花壇や畑に種をまく。
 〇夏…毎日水泳をする。十五メートルプールで徹底的に泳ぐ。
 〇秋…収穫の秋、食欲の秋。畑のそばを収穫し、そば祭りを行う。
 〇冬…スキーの冬。学校横の斜面を利用して毎日スキー三昧だ。

四、日常生活
 村の教員住宅に住んでいたので、休みの日には子どもたちが朝から「先生、遊ぼう。」と言ってくる。
 分校で朝から夕方まで子どもたちと一緒に遊んだ。時間はたっぷりあったので、子どもたちと様々な遊びをした。
 最も面白かったのは、缶蹴りだ。隠れる場所が多い校舎を利用した缶蹴りは、何時間やっていても飽きなかった。

五、先輩
 冬に大雪が降ると、分校の屋根の雪下ろしをして下さった校長先生。何から何まで教えて下さった分校主任。この濃厚な人間関係は、現在まで続き、毎年必ず会合を開いて、近況報告をしている。

六、地域の方々
 地域の方々にもよくしてもらった。早起き野球に入れてもらったり、スキー場の無料券を沢山もらったり、時には泊めてもらったり、本当にお世話になった。

 今思い出しても本当に懐かしくなる。私の「教育の原点」はまさしくここにある。この原点は、今の学校でも大切であると思う。
(塩尻西部中学校)

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